【およそ3センチ角の日記】20160730 ボローニャ紀行
井上ひさしさんの、「ボローニャ紀行」という本を読んでいる。これは、あそこに行ったとかあれを見たとかという旅行記を超えて、井上ひさしさんの憧れと思いがつまった街、ボローニャを、歩いて見て話して聞いたものの端々から、ボローニャの精神を読み取っていく、そして日本はどうか?と鑑みるような内容の本だった。今この時代、この時期に読んでこその本だとも感じる内容。
冒頭で、到着早々スリにあい、多額の現金と航空券の入ったカバンを盗られてしまい、「イタリアは職人の国。だから泥棒だって職人よ」と、奥さんにたしなめられるところから井上氏のボローニャ紀行ははじまる。
いくつか印象的な話があった。抜粋と要約とありますが、本からいくつかのエピソードを引用させてもらいます。『』つきで示しているのは本の要約部分で、段落が分かれている部分は引用部分です。
ボローニャが世界に誇る映画の保存と修復の複合施設「チネテカ」の創立者の一人のお話。
『ボローニャでは、何か活動をしたい!という人々は、まず「協同組合」や「組合会社」を作る。その会社にはいくつも特典があって、独り立ちするまでは税金を納めなくてもよい。市や県や国からの援助が受けられる。銀行や企業などの財団から堂々と資金援助を仰ぐことができる。そして古い映画のフィルムの修復をするために立ち上げた彼の組合会社は、その後行政と地元銀行とその他映画関係者の支援を受け、フィルムの復元に成功し、復元されたフィルムは市民の財産として認められるようになった。その結果世界中から仕事が舞い込むようになり、多額の利益を生み出すことになった。その利益で、映画館、フィルムライブラリー、図書館、スタジオなどを兼ね備えた複合施設を、使われなくなったタバコ工場を使い一気に建てた。中には子ども専用館もあり、思い思いの時間に、子供達が50名以上集まるといつでも映画が始まるそう。子供が映画を撮影するスタジオも構想されていた。フィルムライブラリーは「人間であれば誰でも利用できる」というルールになっており、外国人も問わず世界中から人が集まっている。』
インタビューを終えた井上氏の言葉から引用。
たった四人の映画好きから始まったチネテカが、地域の人たちの理解や資金援助をエンジンにしながら、いまでは世界一の映像センターになり、映画の未来を育てている。しかも利益をあげてもいるのです。この実情を知れば、誰だって都市には創造性があることを信じたくなります。好きなことに夢中になっている人たちに資金を提供すること、奇跡はそこから始まるのです。
産業博物館の館長の話。
『ボローニャには分社制というものがある。例えば包装機械のメーカーがあって、そこはチョコレートの自動包装機械を開発して繁盛していた。そこに入社した優秀な熟練工が独立して、その後自分で会社を設立した。ここで驚くべきは、母会社の技術を持ち出すことは許されるが、母会社と同じものを作ってはいけないということ。チョコレートの自動包装機械を作ってはいけないので、その独立した熟練工は、母会社の技術をもとに、自動ティーバッグ包装システムを開発して世界市場を制覇したのだそう。こうして母会社から包装機械作りのノウハウを持って別れた企業は五十社以上にも及び、ボローニャはパッケージングバレーとも言われるくらい包装産業が発展した。そして分社制を行う理由の一つに、街の景観を壊さないために、工場の増築をしないという点もあるのだ。』
以下は、産業博物館の館長の言葉を本文から引用。
「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にあるからです。学校や博物館というのは、そういうところなのです」(中略)そういえば、これもボローニャ方式の要諦でした。
以下は、「ボローニャ方式」のまちづくりについての話を引用。
ある高名な建築家に、「世界中からこの日本に、たくさんの観光客を集めるには、どうしたらいいでしょうか」と訊ねたことがありました。(中略)「東京のどこでもいい、あるいはあなたの故郷の山形の田舎でもいい、いま現にある建物や町並みを、そっくりそのまま、100年間、保存してごらんなさい。日本の百年前の姿を観るために、それこそ世界中から人が集まってきます。保証しますよ」
ボローニャに限らず、イタリアの都市の美しさに感じ入ったとき、いつも思い出すのは、この言葉です。
「世界に喧伝されているボローニャ方式とは、町並み再利用の方法のことだ」という台詞を連発していますが、建築家の言葉を加味して厳密に言い換えると、「ボローニャ人は、何百年も前の建物や町並みをそっくりそのまま保存しながら、その上、いまの生活にも役立てる方法を知っている。その知恵をまとめたものがボローニャ方式である」ということになるでしょうか。
と、挙げればきりがないのですが。
もちろんいいところばかりでないですが、2008年に書かれたこの本、今読んでも、なんだか日本はどんどんかけ離れているなあ、と感じていて。
どんどん入れ替えられていく街。軽視されやすい文化や芸術。懐の広さを感じられない仕組み。なんだろう、根源的に、人間を信じていないのかな?という仕組みばかり増えて行く気がする。
確かに世界的に食うか食われるかの雰囲気が漂い始めてはいる。それは事実だし、今までに考えられなかったような発想があって、事件が起こったりもする。
とはいえ、それを封じるための仕組みをまず作って、基本的に人を信じない。その発想ってやっぱりものすごく怖い気がしている。
理想ばかりで、身がついていかない、スカスカな国になるのもまっぴらだけど。だけど理想がないと世界はどんどん恐ろしくなる気がしている。
学ぶべきモデルはたくさんあって、不要と思われそうなものを活用して、ぎゅっと実の詰まった人間が街を作っていく、そういうところに、日本もなれないものかな。
地方自治について、民主主義について、憲法について、今まさに考えるべきことが満載でもあるのです。多くは語れないけれど、こんなことも書いてあった。
『人々は、基本的に国を信用していない。だから自分たちが決める。ボローニャ市には9つの地区住民評議会があって、地区住民の選挙で選ばれた評議員は、予算編成権を持ったボランティアのような市民(極めて少ない報酬は出る)のような立場で、週一回公開で開かれる評議会に参加する。そこで出た課題について話し合いを開き、課題が共有できて需要があって有志が集まれば先のような組合ができたりもする。』
そうやって街に住むひとが街を動かす。それはどういうことかというと、目の前のことをしっかり考えている、目をしっかりと見開いた、実の詰まった人間たちで街が成り立っているということだ。私は、そういう人間になれているだろうか?
国が信用できないなら、目を開いてあたりを見渡し続けないといけないということなのだ。
最後に、「日常が大事ということ」という章から引用。
イタリアの小さな水の都、トレヴィーゾという都市に滞在した時代が、井上ひさし氏のイタリア好きとなる決定打となった。
ヨーロッパへいらっしゃった方なら、どなたもご存知のように、どこでも夕方になると呆れるくらい人がたくさん出てきます。日曜のお昼などは、中心の広場から商店街にかけて、通りは家族連れでいっぱいです。そしてしまった商店の飾り窓を丁寧に眺めながらゆっくり歩いている。そこで、「こんなに人が出ているのに店を閉めているなんて、どうかしている。また買うことができないのに、商品を見て歩くなんてもっとどうかしている」と思いましたが、後でいろんな人から話を聞くと、そういうことではないらしい。「わたしたちは自分の街を見て、楽しんでいるんだ。あそこの店にはあれがあり、こちらの店にはこれがあるということを眺めるなんて面白いじゃないか。それにこうやって、歩いていれば、きっと知った人に出会うし、会えば話に花を咲かせて時を忘れる。そこがまた嬉しいんだ。つまり人生のよろこびとは、こういう些細なことの中にあるんだよ」
商店街へ出かけてうんと買い物をしたり、遊園地へ行ったり、温泉やなんとかランドへ出かけたり、そういう非日常の方法でしか楽しむことができないのは、少しおかしいのではないか。ただし、日常の中に人生を見つけるには、みんなでそれを叶えてくれる街を作らねばならない。別にいえば、1が家族、2が友達、3がわが街、この三つの中にしか人生はない。
(中略)このところ私は、「平和」という言葉を「日常」と言い換えるようにしています。「平和」はあんまり使われすぎて、意味が消えかかっている。「平和を守れ」という代わりに「この日常を守れ」という。そしてこうしたことはみな、ボローニャやトレヴィーゾの町並みから教わっているように思います。
日曜日は、東京都知事選です。
もう16歳くらいに戻るか、都民をやめたいくらいに色々迷っていて、期日前投票も行けなかった。
だから今回は、当日に投票いってきます。
一人の名前を書くことに込められた意味や気持ちは、きっと十人十色なのだ。
いろいろな思いを込めて書いてこよう。
投票用紙にメッセージとかかけたらいいのにね。
そして長い長い時間をかけて、全部読んでほしい。一つ一つ。