【チェコ記2】 チャペック兄弟の言葉たち

チャペック兄弟の展示を見た三日後の朝、ホストファミリーの家で洗濯をしていて、それを待つ間にチャペックの言葉たちを翻訳してみた。
愛情深い目線で、自然な態度で、実は一番難しいことについて語る。これがこの兄弟の姿勢なんだよなぁ。

dav

ちなみにチャペック兄弟とは、チェコの国民的作家と言われるカレル・チャペックとその兄であり画家であるヨゼフ・チャペックのこと。
カレル・チャペックは作家であり劇作家でありジャーナリストとしても活躍した人物で、戯曲「R.U.R.」の中で、「ロボット」という言葉を作り出したと言われています。(ヨゼフが作った言葉という説もあるそう)
執筆の範囲は幅広く、旅行記や趣味の園芸、愛する犬猫の話や童話や政治や文明評論など様々で、戦間期には痛烈なナチス批判を行っていたこともありゲシュタポに乗り込まれるものの、カレルはそのときすでに病死していた。その兄ヨゼフチャペックは、カレルの作品の挿絵や本の装丁などの仕事や画家として活躍。カレルとの共著や自身でも執筆も行っていた。政治的批判も行ったため逮捕・収監され強制収容所で亡くなっている。

先日行ったGASKでの展示は「子どもたちへの視点」というのがテーマ。
日本ではほとんど見ることができないといっていいヨゼフ・チャペックの絵本や絵画の原画が一堂に会しており、もうそれだけで私はアドレナリン放出しっぱなしでした。
小さなマッチ箱のようなサイズに鉛筆でスケッチされた絵画の元案にはすでに心が宿っていて、
それがドーンと大きな絵画として目の前に現れたときの感動は、なんとも言葉にするのが難しい。

さて、会場内に英語で記載されていたチャペック兄弟それぞれの言葉を、自分なりに翻訳してみた。

dav

I do not believe that the whole task is to write and draw something for children. The real task is to truly understand children. Of course, not everybody has this gift. In children’s literature, as with higher literature, there are only a few truly classic book. And these were made not merely out of a sense of literary or artistic playfulness or out of some trend, but rather out of a love for children, their soul and their world. (Josef Capek/1938)

私は、自分の命題が、子供たちのためになにかを書いたり描いたりすることではないと思っている。本当の命題は、子供たちを理解すること。もちろん、このような才能が全員にあるわけではない。児童文学は、高尚な文学と同様に、真の古典的名作は数少なくしかありません。そしてこれは文学的センスや芸術的遊び心や流行りなどから安易に作られるものではなく、子供たち、その心、その世界観への愛情から生み出されるものなのです。

dav

dav

When I see small children aged four or five and older, I am surprised by their frenetic need for language: how they love words and how happy they are when they find a new word. I believe therefore, that children’s literature should have the richest and fullest language. If a child learns few words in childhood, i will know few for its entire life. For me, that is the problem of children’s literature- to give children as many words, ideas and abilities of expressing themselves as possible. Remember that words are ideas, an entire storehouse of the mind. (Karel Capek/1931)

私は四、五歳やそれ以上の年齢の子供を見ていると、彼らの熱狂的なまでの言語への欲求に驚かされる。どれだけ言葉を愛しているか、新しい言葉を見付けたときにどれだけ嬉しいか。つまり子供たちの文学は、もっとも豊かで満ち溢れた言語を持たなければならない。もしもある子供が幼少期にほんの少ししか言葉を習わなかったとしたら、その子は生涯、知れる言葉が少ないだろう。私にとっては、それが児童文学の問題(役割)だと思っている。子供たちに沢山の言葉、アイディアや自分達を表現する能力をできるかぎり与えること。言葉はアイディアであり、生涯の心の宝箱であることを、忘れてはならない。

dav

Illustrated children’s books? […] What can I say about the subject? I am not an illustrator by trade; in fact, I am an illustrator against my will, a little like Moliere’s woodcutter who is condemned to be a doctor. And so I work as an illustrator, because I am asked to and because I need to bring in some income every now and then. I would never have occurred to me on my own. (Josef Capek/1933)

子供の本のイラストだって?ぼくがこのテーマについてなにをいえばいいのか?ぼくの本業はイラストレーターではない。が、実際は自分の意思に反してイラストレーターだ。まるでモリエールの、木こりがいやいやながら医者にされたのに少し似ている。イラストレーターとして働いているのは、人に頼まれたから、そして今もこれからも収入が必要だからだ。ぼく一人では到底起こりえなかった現象だ。

dav

dav

Those children keep on playing: they never have been and never will be sick of it, and I, too, can never have my fill. I am trying to find a children’s song that I vaguely remember from my own childhood: I hear it from the bushes and the hedgerows, from the roads and the houses, and from the grass. I will never be done with it; it never strikes me as full enough and pure enough: it may have been a very simple song, but it managed to encompass and fill my entire small universe. (Josef Capek/1935)

その子達は遊び続けている、それがいやになったことも、これからなることもない。そして僕も、決して満ち足りることはない。僕は自分の子供時代にぼんやりと覚えた子供の歌をさがしつづけている。それは、茂みの中から、生け垣のなかから、通りや家々から、草原から、聞こえてくるのだ。それは終わることはなく、それは当時のように完璧で純粋に心を打つことはもうない。とても単純な歌だった気がするが、ぼくの小さな宇宙を包囲し、満たしてしまっているのだ。

dav

To a child, things look powerful – new, intimate – good, profound – with no grey downside or sober limitations. […] And blessed is the artist who can manage to remember just a little of this forgotten Eden, who has preserved within himself this profundity and immediacy of perception and the capability for direct expression. (Josef Capek/1918)

子供たちにとっては、物事は力強く、新しく、親密で、優れていて、深遠であるようにみえる。そこにグレーゾーンや抑圧的な制限はない。
この忘れがたい楽園の時代の記憶をほんの少しでも維持しているアーティストはほんとうに幸運だ。自身の知覚の深さと即時性、そして直接的な表現をする能力を、自分の中に大切に保管してきたのだろう

チャペック兄弟の展示を、日本でもできないだろうか?
そんな思いを巡らせながらここ最近生きています。